できない言い訳を封印するためのキラークエスチョン

わかっちゃいるのに行動を起こせない、ということは少なくありません。それをしなければ確実の自分の将来に影を落とす(ポリシーに反する、人格を損なう、評判に傷がつく、年収が下がる、etc)ことが明白だったとしても、「今すぐそうなるわけではないから、よかろう」と、妥協してしまうのです。

言うまでもなく、こうした妥協は少なければ少ないほどいいでしょう。

ゼロにできたら最高です。

もちろん、人間ですから100%は難しい。

可能な限りこうした妥協を少なくするための方法はないかと考えるわけですが、そこで思い出すのが、数年前に師事していた老師から突きつけられたこんな質問。

 

できなかったの? やらなかったの?

 
この問いに対して「できなかった」と答える限りは、進歩も成長もできない、と老師は言います。

 
人の成分の大半は水ですから、何もしなければ高いところから低いところに流れ落ちていきます。すなわち、放っておいたら楽な方にしか行かない、ということです。

イヤなことがあれば、真っ先に「できない理由」を探し始めるのです。できない(=不可能)のだから仕方がない、という形勢に持っていくことによって、自分が悪いわけではないことにできるからです。

もしここで、「できない理由」の代わりに「やらない理由」を考えたらどうなるでしょうか。

たとえば、今日中に仕上げるべき仕事について、「資料がそろっていないからできない」とか「やる気が出ないからできない」といった言い訳の代わりに、次のような「やらない理由」をリストしてみるのです。

  • この仕事よりも重要な仕事の納期が迫っており、そちらを優先したいので、やらない

#リストしようとしましたが、1つしか思いつきませんでした…。

 
まず、「できない理由」より「やらない理由」の方が本気を試されることに気づくはずです。それもそのはずで、「できない理由」には責任を他人に押しつけるという前提があり、「やらない理由」には逆に自ら責任を背負うという前提が、それぞれあるからです。

つまり、「できない理由」を考えることは身を守る行為なのに対して「やらない理由」を考えるのは身を削る行為なのです。

 
日々、その日一日を振り返るときに、やるべきであったのになされなかったことについて、「できなかった理由」ではなく「やらなかった理由」を自らに問い続けることは、成長への近道になるでしょう。

・・・ここまで書いて、「成長への近道だとわかっていても、自分にはできないかもしれない」と思い始めた自分に気づきました。

成長への近道は険しいものですね。

 
そう考えると、成長とは、身の削り節をダシにしてつくった極上のスープといえるかもしれません。削って初めて持ち味が出る、と。

関連

『誘惑される意志』という本が、まさにこのテーマを扱っており、耳の痛い内容ながらも、引き込まれます。

誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか
山形 浩生(翻訳)
発売日:2006-08-30
おすすめ度:4.0
おすすめ度4 著者の言うとおりならば、俺は「正常な人間」じゃなく「『超』正常」なのかもしれない。
おすすめ度4 実証実験に基づいた痛快な思考実験
おすすめ度3 双曲割引をめぐるやや雑然とした長いエッセイ
おすすめ度4 ある程度どんな人が読んでも面白く読める科学の本
おすすめ度4 双曲割引一本槍の怪書

以下は本の帯より。

人は、しばしば目先の誘惑=望ましくない選択に負ける。しかもそれは、無知のせいじゃない。その誘惑に負けたら自分が何を失うか、どういう結果を招くかは十分承知している。それなのに、同じ誘惑に繰り返し負けたりする。だれでも知っていることだ。

それなのに、これまでの心理学、経済学その他のモデルでは、これは説明できなかった。十分な情報がなくて判断をまちがえるのだとか、あるいはパブロフの犬みたいな条件付けが生じて反射的によくない選択をしちゃうのだ、といった説明では不十分だ。……本書は、双曲割引という概念を使うことで、これをきれいに説明した。(「訳者解説」より)

仕事の合間に思わず手に取って読み進めてしまうという困った本で、文字通り、意志が誘惑されています。